茜子の日記

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Before Trilogy : ビフォア3部作について

物凄い映画体験をした。映画を見てこんなに心が動いたのはとても久しぶりだったので、この気持ちを文章にちゃんと残そうと思う。

 

海外の友達がインスタに長文のレビューを載せていたのを思い出し、思いつきで見始めた”ビフォアシリーズ”。18年間にも及ぶ壮大な3部作であることも知らずに2作目のサンセットから見てしまい、10分観たところで「おかしい」と気付いて検索。サンライズが一作目だった。

 

 

1.ビフォアサンライズ

 

3作通して観賞した結果、サンライズが抜群に好きだし、ジェシーセリーヌが歩んでいく人生を知った後にもう一度サンライズを見ると、最初の出会いのシーンは痺れる。電流が走るような鮮烈な出会い、この瞬間の二人はこれから歩むことになる二人の人生を想像もしていなかっただろうなと。

 

 

1995年公開の作品。簡単に話すとユートリアの汽車で出会ったフランス人女性とアメリカ人の青年が様々な会話をしながら一夜を過ごすという話。

 

祖母の家から帰る途中のフランス人セリーヌは隣の席の夫婦の喧嘩に嫌気がさして、席を移る。

その時に偶然隣にいたのがヨーロッパに旅行に来ていたアメリカ人のジェシー

 

二人はその夫婦の喧嘩によって目が合い、話を始める。(ここが重要!)

そこから二人は自分自身の話はもちろん、教養、哲学、宗教など豊富な知識量で休む暇もなく話し続け、ジェシーが飛行機に乗るため降りるウィーンで「君ともっと話たい。一緒に降りよう。」と説得し、二人は美しい街ウィーンで共に時間を過ごすことになる。

 

1994年の夏、セリーヌ役のジュリー・テルピー、ジェシー役のイーサン・ホーク共に24〜25歳だがビジュアルがまさにレジェンド。透明感溢れる天使のようなセリーヌと色っぽくキュートなジェシーはまさにこの時期の二人にしかできなかったであろう。

 

特にイーサン・ホークの演技力には驚く。

ジェシーの少し照れっぽいところ、プレイボーイのくせに本命を目の前にしてタジタジしてしまうところ、隠そうとはするもののセリーヌにゾッコンなところ………微妙な目の動きや仕草、表情でちゃんと伝えてくる。

 

以下、 ちょっと細かいけどジェシーという青年がどんな人なのかよく現れていると思う仕草。私がすごく好きな演技。めちゃくちゃかっこいいのに案外普通の男の子でしんどい(しんどい)

 

一旦降りようとするが戻ってきてセリーヌを説得するジェシー、Come onと少しちょけながら誘うところ。

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※列車を降りる時に寝てもいいと決めていたと後々打ち明けるセリーヌ、実際に列車を降りる直前で一瞬止まって少し微笑む。この時に決心したのだなと分かるシーン。

 

ウィーンを降りてすぐに向かった橋で、気まずくて決まり悪そうに話すジェシー

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レコードショップの試聴室で目を避けながらニヤつくジェシー

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観覧車の中でセリーヌにキスがしたいのに自分からは勇気が出ずにタジタジ、セリーヌが「キスしたいの?」と聞くとイェスイェスと大きく頷きくところ。

오스트리아 비엔나 여행 # 프라터 놀이공원 관람차 (영화 비포선라이즈 촬영지) : 네이버 블로그

 

 

川辺を歩きながらセリーヌの手を見つめるところ。

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 夜が明けて朝が来てしまい、別れの時が近づいている時に演劇を見に行かなかったと話すジェシー、どうでもいい話をしながらセリーヌを見つめるけど別れが近づいていることを信じたくないような表情。

비포 선라이즈> 사랑, 가장 눈부신 순간

 

 

とにかくジェシーセリーヌにゾッコンで、大切にするあまり奥手になってしまっているのが可愛いすぎる。それを演じるイーサン・ホーク分かってる!!!!

 

二人の話す内容は、日本の若者だと全く成立しない内容だなと思う。もしこれが日本人だという設定だったら、自分と自分の周りの話だけして終わりなんだろうなと。これだけのことを話せる知識量と、教養は持ち備えていない、、、羨ましい!

 

最後に駅で別れを告げる時に、どうしたらいいのか分からなくて息が上がってしまっている二人。言葉もままならないまま勢いよくキスをする。(観ている私も😭😭😭←こんな顔)

 

列車に乗って家に向かうセリーヌ、バスに乗って空港へ向かうジェシー。朝の光を浴び、二人とも微笑みながら終わって行ったのがとてもよかった。一生忘れられない夏の思い出。

Summer '94、Living life 人生は続いていく。生きるのみ。 

 

二人が1994年の12月16日に出会えても出会えなくてもどちらでもいい素晴らしい終わり方だと思った。でもこのビフォアシリーズが素晴らしいのは、9年後に同じキャストで、現実と同じ時間の流れで後続作を残しているというところ。セリーヌジェシーの物語は夕日が美しい9年後のパリへと続く。

 

 

 

 

2.ビフォアサンセット

 

9年後のパリ。ジェシーは小説家となってヨーロッパをPRツアー中。セリーヌとの出会いを基にした小説を出版していた。サイン会で突如現れたセリーヌ。二人は9年ぶりの再会を果たす。そう、二人は12月16日に出会えていなかった。

 

でもジェシーは飛行機の時間が迫っている。今回二人に与えられた時間は85分。

 

変わらないようで変わった二人。9年という重み、二人の顔のシワが物語っている。

12月16日のこと、その後の9年間のことは二人の話からのみ伝えられるが、どのような生活を送っていたのか情景が伝わってくる。9年前とは確実に違う、二人の落ち着き。

 

あの時と同じように、二人は幅広い分野の話を休みなく続ける。お互いの過ぎた9年間のことを。

「12月16日に会えなくて悲しかったけど、今日再会できたから悲しい思い出じゃなくなったわ」「思い出は永遠に変えていけるさ」というセリフがとてもよかった。過去の記憶を変えるのも現在、または未来の自分なんだなと。

 

結婚生活がうまく行っていないジェシーの「なんでウィーンに来なかったんだ。再会できていたら人生変わっていたよ」と、セリーヌの「恋する気持ちをあの夜に置いてきてしまった」というセリフに泣いてしまった。お互いが大好きだけど、あの頃は若かったから、一夜限りの関係だったから、現実的に難しいからと決めつけてしまうがために(特にセリーヌが)心を開いて関係をまたスタートさせることができない。二人の道が止まってしまっているようにも感じられた。時の流れ、人間の成長、世の中の不条理を思わされた。

 

船に乗ってパリを一周する二人。「ノートルダム大聖堂もいつか消えるかもしれない。だって大昔はそこに違う教会が建っていたのだから」というセリフの凄さ、2004年公開の作品だが、2019年にノートルダム大聖堂に火災で消失するなんて。(改めて、良い作品は社会を観察する力から未来の可能性を予知することがうまいなと思う。)

 

영화 <비포 선셋> 속 노트르담 대성당 | 보그 코리아 (Vogue Korea)

 

 

どうにかしてセリーヌとの時間を伸ばそうとするジェシーセリーヌの家でティーを飲んで踊るセリーヌを見つめる。

Baby, You are going to miss that plane.
- I know.  

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ここで2作目、ビフォアサンセットが幕を閉じる。(最高な終わり方…)

若くて強烈で熱かった刹那、Summer '94から考えると、ジェシーセリーヌは確実に大人になっていた。なってしまっていた。

 

 

3.ビフォアミッドナイト

 

舞台は9年後のギリシャ

9年前のパリでの再会後、ジェシーは飛行機に乗らなかった。愛しのセリーヌが目の前で踊っているのに、当たり前だ。あのまま帰れるわけがない。

 

今回の作品が今までと確実に違うのは登場人物の多さ。今までの2作品はジェシーセリーヌの二人だけの恋の物語だったならば今回は二人だけじゃなく、多くの人物との関わりが加わった「家族」「愛」の物語。

 

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二人は9年を一緒に生活しながら子供、共通の知り合いなど、ごく普通の夫婦、家族の形を作り上げていた。今までの幻想的な熱い恋とは違う、現実的な愛だ。もう夢物語ではなくなった。

二人は美しいギリシャの避暑地を散歩する。お喋りなのは9年経っても変わらない。

 

子供を預けて二人だけの熱い夜を過ごすつもりが、会話の中のすれ違いで喧嘩が勃発、二人はヒートアップし続け熱い夜を過ごすはずが熱い喧嘩をすることに。

 

作品を通してお喋りで知識人の二人であることは十分に分かっていたし、二人がもし口喧嘩を始めたら物凄いことになるだろうなと思ってはいたが、本当に物凄かった………

 

この作品は主演の二人、イーサン・ホークとジュリー・テルピーが監督と共に脚本を手掛けているため、演じる本人達の「ジェシーならこう言うだろう」「セリーヌならこう言うだろう」を凝縮させたまさにホンモノの脚本。あまりにもリアルな喧嘩だ。

 

二人の喧嘩は結局落ち着くことはなく、セリーヌは「もう終わりよ」とホテルの部屋から出て行ってしまう。

 

少し時間が経って、落ち着きを取り戻してセリーヌを追いかけるジェシーセリーヌを説得する手紙があまりにも良すぎた。

「僕は未来の人間だ。今日の夜中、二人はギリシャで一生忘れられない熱い夜を過ごす。」 

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相手にしないセリーヌだったが、ジェシーは「完璧じゃないけど、これは真実の愛だ。これが分からないならもう僕たちは終わりだ」と伝えると、セリーヌにもその愛は伝わった。

 

この流れがとても素敵な理由が、ジェシーセリーヌが出会った1994年の夏、ウィーンの列車の中でのジェシー口説き文句は「これはタイムトラベルだ。将来結婚して子供ができて人生に疲れた時、あの時一夜を過ごしたあの男を選んでいたらどうなっていただろう・・・と想いにふけるために、今日一緒に遊ぼう」だった。 

ジェシーはいつだって未来から逆算して現在の選択をする。未来の自分、その後についてしっかり考えられる人。その姿がすごくロマンチックでもあり、素敵な考え方だと思った。今回のミッドナイトでも、セリーヌとの未来を想像して、逆算して仲直りを選んだ。

 

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1994年の夏のことを想うと、今でも胸が苦しくなる。ジェシーセリーヌは一夜限りの関係ではなく、人生を共にすることを選んだが、それは今回のような喧嘩やすれ違い、周りの環境にも影響されながら二人の関係性が変わる可能性があることを意味する。

 

それでも二人は熱い夏の出会いを一生胸に抱きながら生きていける。あんなロマンチックで素敵な思い出を共有しているという事実が、どんな困難があってもこれからも二人を良い方向に導いてくれるだろうと思った。

 

Summer '94の列車の中で二人が言葉を交わしたきっかけは、ありふれた夫婦のありふれた喧嘩だった。実際に夫婦になった二人の夫婦喧嘩をこのミッドナイトに持ってきたことに深い意味を感じた。二人に出会いをもたらしたあの夫婦は、あの後どんな未来を作っていったのだろうかと考えてみる。

 

 

最後に・・・

息が詰まるような熱いウィーンの夜明けから後悔と祈りのパリでの夕焼け、真実の愛にたどり着いたギリシャの夜中まで。ジェシーセリーヌの二人の時間を描いた3部作を通して、とてつもない映画体験をすることができた。人と出会うこと、共にするということ、愛することを、ロマンチックな演出と素晴らしい脚本で映画として残してくれたこと、見ている人がこんなにも共感できるほどに18年以上に渡って演じてくれたイーサンとジュリーにもとても感謝する。ジェシーセリーヌが共にした全ての瞬間を愛している。

 

 

ちょっとずっと鬱

 

 

「死にたいけどトッポッキは食べたい」という韓国のエッセイが人気だ。

 

いつも自分に自信がなくて、ぼんやり死にたいと思っているのに、おなかがすいてトッポッキが食べたいとも思う。はっきりしない私の心はどうなっているんだろう。不安神経症に悩む著者が精神科医との会話を通して見つめる自分自身の姿に共感の嵐! 韓国で40万部を超えた大ヒットノンフィクション待望の邦訳。1日中憂鬱に感じられる日だって、些細なことに笑っていい。相反する気持ちを抱えることが、生きているという事だから。

 

大体私も似たような症状、感情のまま生きているが、私にははっきりと鬱になったことがあった。

 

私の人生3度目の鬱が訪れている今、

私の鬱について書いてみようと思う。

 

 

⒈ クラスに馴染めなかった

 

高校に入学した春、鬱になった。

うちの高校へ進学した中学の友達はあまりおらず、完全アウェイな状況での高校生活スタートだった。中学卒業まではそれなりに友達関係も良く、誰かと亀裂が入ったりしたことはなかったのでそんなに不安を抱いたりはしなかった。

 

クラスは40人中8人のみが男子で、他は全員女子。英語カリキュラムに特化したいわゆる特別コースだった。

 

女子はすぐに群れを作った。何も面白くない話で盛り上がっているフリをし、弁当時間は我こそは!と友達同士で机をくっつけて島を作った。

 

私も当然その輪に入らなければいけないと思い、必死についていこうとした。全く楽しくはなかったが、そのグループにいることがきっと安全であると思い込んでいた。

 

でもやはり楽しくはなく、スマホをいじる時間が増えた。群れからすこーしずつ離れていき、SNS・ラインで人と繋がることを覚えた。Twitterの趣味アカウントを作って知らない人と交流したり、少し勇気を出して結構な人数のいた校内のライングループで発言をしてみたりした。それはそれで楽しかった。

 

トイレに入っていると、群れの数人がトイレに入ってくるのがわかった。鉢合わせないように彼女たちが出てから出よう。

 

そう思っていた矢先に「見た?さっき〇〇ちゃんがライングループで何か言ってたの」という声が聞こえた。私のことだった。

 

その話はすぐに終わりそうではあったが、いい内容ではない事は容易に想像できたので、我慢するどころかそれ以上は聞きたくないと思い、私はトイレの個室からバン!と扉を開けて出て行った。

 

彼女たちはぎょろっと私を見ながら「やばいやばい」とヒソヒソ笑いながらトイレを出た。

 

彼女たちと直接的に何かアクションがあったというとその程度ではある。

特にいじめられた訳でも、喧嘩した訳でもない。

単純に教室の居心地が悪く、誰とも打ち解けられず、昼休みは宿題をするというカモフラージュを使って一人で過ごした。そもそも学校へのモチベーションが上がらず勉強を疎かにしていた。授業も宿題もちゃんとしなかった。

 

 

だんだん悲しくなってきた頃、そして体調も悪くなり『自律神経失調症』だと診断された頃、

古典の宿題を昼休みにしようとノートを開いた。群れの中でも少し大人しめで優しめな子に声をかけ、よく分からないからノートを見せてくれないかと聞いた。その子は群れでどこかに(多分運動場へ遊びに)行こうとしていたところだった。

 

ノートくらい普通に見せてくれると思った私が馬鹿だったか、その子は少し顔をしかめながら

「……本を見たらわかると思うよ」とだけ言い残し、群れと共に走って行った。

 

その出来事があまりにも悲しくて、何年経った今でも忘れられずにいる。

友達がみんな走って向かおうとしているのに、私にノートを貸す数秒で置いていかれると思ったのだろう。または自分がちゃんとまとめたノートを人に見られるのが嫌だったかもしれない。(その後の学校生活で後者ではない事は明らかになった)

きっとその子も集団に所属しなければならない強迫観念に、知らず知らずの内に犯されていたのだろう。無理はないし、そもそもちゃんと勉強せずに宿題もしてこない私が一番悪かった。

 

その子から卒業の時に「あなたが入学当初、よく学校を休んだり辛そうにしてた時に助けてあげられなくてごめんね」と言われた。正式には手紙の一文にそう書いてあった。

 

 

彼女が“ノート事件”を覚えているかどうかは分からないが、

あの時ノートを貸してくれていれば、少なくとも当時の私は少し救われたと思うし、あなたとの一点の曇りをここまで引っ張らずに済んだのにね。と思っている。

 

  

私はこの頃、「死にたいけど、推しにもう一度だけ会いたいし…」

という思いで生きていた。推しがいなければ多分死んでいた。

 

無事に推しにも会え、実生活で好きな人もでき、

気の合う友達ができたことで人生初の鬱は終わった。

不思議な感覚だった。

 

 

 

2.大学の復学生活に馴染めなかった

 

大学3年の前学期、鬱になった。

 

大学2年の時に海外へ交換留学に行った。その国のエンターテインメントが好きで、その国の文化が好きで、その国の言語が好きで留学を決めた。

 

日本での大学生活は想像していたものよりも面白味はなかった。教授と仲良くなったり、授業に積極的に参加したり、自分の好きな時間割で履修し、学びたいことを思いっきり学べる環境だと思っていたが実際はそんなことなくて、自由に時間割を組めるとはいうものの必須科目が多くカリキュラムはほぼ学校側に決められており、学科の子たちは特にやる気もなく授業中もずっとおしゃべりをしていた。うるさすぎて授業の席が指定制になった。誰もノートにメモを取らないので教授は毎度、カッコ付きのプリントを配り、学生たちは教授がモニターに写す資料を見ながらそのまま穴埋めをするという作業を繰り返した。塾や高校、いや小学校と変わりなかった。

 

 

学校で一生懸命にすること、積極的に言動することが何だか恥ずかしいとされるこの国では隠れてテスト勉強することがどうやら美徳とされるらしく、私よりもやる気の無いように見える(もしくはそう見せている)子達は穴埋めや暗記が中心の客観式テストの点数だけは良かった。私は自分の考えを書く主観式に関しては自信があったが、そもそも日本の大学にはそんなテストなど存在しなかった。

 

 

モヤモヤとした大学1年を過ごしていたが、2年生で1年間交換留学し、思う存分積極的に勉強することの楽しさを覚えた。そこでは一生懸命にしない方がおかしいとされ、授業中に意見を言ったり教授にいい意味で媚を売ることも大事とされた。その環境が私には合っていた。初めて勉強が心底楽しいと思えた。自分がなりたい夢、職業にも近づける気がした。

 

 

交換留学には終わりがあり、3年生の春に元の日本の大学へと復学した。

勉強の楽しさを、自分に合った環境があるということを知ってしまった以上、元には戻れなかった。

 

学校が本当に楽しくなくなり、かと言って高い授業料を払っているのに行かないわけにも行かない。

卒業まであと2年か、友達と話すのも授業を聞くのも通学時間も憂鬱になった。

 

憂鬱すぎて地元の精神科に電話した。単に「うつ病」という診断が欲しかった。

明日にでも行きたいんですが、と伝えると、「3ヶ月先まで予約でいっぱいです」と言われた。

その事実は色々と辛かった。

 

私はこの頃、「死にたいけど、夢はあるし…」

という思いで生きていた。夢が無かったら、多分死んでいた。

 

 

ずっと暗い顔で生活していたら祖母が心配して語りかけてくれた。

何がどう辛いのか、これからどうしたいのか、一つ一つ聞いてくれた。

 祖母と話している内に答えが降りてきた。

 「私、海外の大学に編入する」

 もちろんそれまでも考えた事は何度もあったが、そこまで気持ちの乗らない案だった。

鬱だから、それを肯定的に建設的に考え、準備できる場合でもなかった。

 

その時はなぜか、ものすごく勢いよく言葉にすることができた。パッと口から出た言葉はものすごく力を持っていた。

 祖母と話し終えて、海外の大学に編入することに決めた。あっという間に決まった。

 

窓を開け、ドアを閉めた部屋で話していたが、祖母が帰ろうとドアを開けるとびっくりするほどの風が部屋に入ってきた。

 

その瞬間、私は私の体に風の通り道が無かったことに気がついた。

窓を片方開けたからといって、風が通るわけじゃない。出口がないのだから。

入り口しかないから溜まるばかりで換気がされない。

 

 

人生につまずいた時、風の通り道を作ることが一番重要であることに気がついた。

その場から出て行く扉、私にとっての出口は、今居る環境から逃げて新しい場所に身を置くことだった。

 

 

逃げるは全く恥ではない、ただただ役に立つ。

 

 

 

 

3.いろんな要因が重なってしまった

 

会社員になった年の夏、鬱になった。

 

というのは現在進行形の話であり、まさに今。

 

本当にたくさんの要因が重なってしまい、何から話せばいいのか分からない。

 

まず、仕事がとても忙しく、外資の小規模支社だからか、ちゃんとした会社のマニュアルや業務分担などが行われておらず、社会に出て初めて”働く”ということをする私には難しい社風だった。

 

普通に出勤していても難しかったであろうに、ご存知の通りコロナウイルスは未だに収束の気配を見せておらず、入社の次の日から在宅勤務。今でも私は会社の人たちの顔も知らないまま働いている。

みんなが普段どんな会話をしながら仕事をしているのかも、一人一人どんな性格なのかも掴めないままチャットの文字で指示されるまま働いている。楽しいわけがない。

時間を拘束されることも、週末に連絡が来ることも、夜遅くまで働いていることもしんどいのに、休日は「外出自粛要請」でろくにストレスを発散できる場所もない。しかも今はずっと天気が悪い。

洗濯物は乾かないし、日光を浴びながら散歩をすることもできない。

 

一人暮らしの在宅勤務+コロナ+雨=鬱

 

精神的には結構限界なのだが、いつか雨は止むであろうしコロナも少しは落ち着くはずだと思い期待してしまう自分がいる。もう少し我慢すれば、仕事も楽しくなるのではないか、と。

 

 

鬱は何度も経験してきているし、

そもそも鬱っぽい人生だけれど毎回とても辛い。

今回は自分がどのようにこの鬱を切り抜けるかまだわからないが、

きっと何かのきっかけで上手く克服するだろうと思う。

今までもそうだったから。何の出口も見つかってないけど、自分を信じるしかないようだ。

 

 

これは初めて抱く感情だけれど、

「死にたいけど、家族には会いたいし…」と今は思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

韓国ドラマ「愛の不時着」について語る

 

筆者が韓国に居住中に放送が始まったヒョンビンXソン・イェジン主演の韓国ドラマ「愛の不時着」。

二人の主演俳優の出会い、そして「星からきたあなた」のパク・ジウン作家の新作ということでも注目を集めたが、一番驚くべきはやはりその奇抜なストーリーではないだろうか。

 

 

「愛の不時着」は、韓国の財閥令嬢のユン・セリがパラグライダーの事故で北朝鮮に不時着してしまうところから始まる。そこで出会うのが北朝鮮軍のエリート将校、リ・ジョンヒョク。ジョンヒョクはセリを守る段階で恋に落ち、二人は次第に愛し合うこととなる。

国家間の壁を超えた “絶対極秘ロマンス”だ。

 

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「愛の不時着」  ”嘘みたいに、彼の世界に彼女が不時着した”

 

まず、朝鮮半島の情勢を考えても南北の男女が恋をして結ばれるなどあり得ない話なわけで、同じ民族で言葉も通じるが絶対に出会ってはいけない二人だ。そんな二人が、不運の事故で出会ってしまい、韓国人のセリは北朝鮮に住むジョンヒョクの世界に“不時着”してしまう。

 

本当なら絶対に叶わないラブストーリー。

 

一体、このストーリーはどこに着地するのか?全く想像ができない展開に視聴者は釘付けになった。

 

 

 

 

 

“偶然のようで、運命”

数多くのアーティストがこのドラマのOSTに参加したが、その第一走者が韓国のシンガーソングライターである10cmが歌った“우연인 듯 운명” 「偶然のようで、運命」。

このタイトルこそ、このドラマの核心をついていたのではないかと思う。不運の事故で出会ってしまったが、二人は出会うべくして出会う運命だった。

 

 

 

ここでパク・ジウン作家が書いたこのドラマの企画意図をおさらいしたい。

 

대한민국 여권은 유능하다.         

우리 여권만 있으면 무비자로 갈 수 있는 나라가 무려 187개국에 이른다.하지만 어디나 통하는 이 여권으로도 절대 갈 수 없는 나라가 가장 가까이에 있다. 언어와 외모도 같고 뿌리도 같지만 만날 수 없고 만나선 안되는 사람들이 사는, 이상하고 무섭고 궁금하고 신기한 나라.     

 

韓国のパスポートは有能だ 。このパスポートさえあればビザ無しでいける国がなんと187カ国だ。

でも、どこでも通じるこのパスポートでも絶対に行けない国が一番近くにある。

言葉と外見、根も同じだけれど会えないし、会ってはいけない人たちが住む、

おかしくて怖くて気になる不思議な国。

(中略)

 

토네이도 타고 다른 세상으로 날아갔던 동화 속 도로시처럼..
한 여자가 돌풍을 타고 한 남자의 세상에 뛰어든다.
‘잘못 탄 기차가 때로는 목적지에 데려다 준다’고 했던가?
가끔은 삶이 거대한 바람에 휩쓸려 위태롭게 흔들리고 있는 것 같겠지만...
나만 운 나쁜 사고를 당해 낯설고 무서운 곳에 홀로 서 있는 것 같겠지만...
우리는 결국 깨닫게 될 것이다.

바람 타고 간 도로시가 오즈의 마법사를 만났듯..
사막에 불시착한 조종사가 어린왕자를 만났듯.. 

수많은 인연과 행운과 아름다운 이야기는 

뜻하지 않은 불운과 불행과 불시착에서 시작된다는 사실을

 

トルネードに乗って違う世界に飛んで行った童話の中のドロシーのように、

とある女が突風に乗って一人の男の世界に飛び込んだ。

“乗り間違えた汽車が時には目的地に連れて行ってくれる”と言ったっけ?

時に人生が巨大な風に吹かれ、危なっかしく揺れているように思えても・・・

自分だけが運の悪い事故に合い、慣れない恐ろしい場所に一人で立っているように思えても・・・

私たちは結局気づくだろう。

風に乗ったドロシーがオズの魔法使いに出会ったように・・・

砂漠に不時着した操縦士が星の王子様に出会ったように・・・

たくさんの出会いと幸運と美しい物語は

予想外の不運と不幸と不時着から始まるという事実を・・・

 

program.tving.com

 

 

 

ドラマを最後まで見たら分かるように、このドラマは単純にセリとジョンヒョクの美しいラブストーリーだけでは終わらなかった。不時着という不運が与えてくれたものは、本当に多くの、多方面の幸せだった。

 

 

  

まず、セリは財閥令嬢ではあるが若いうちから自立し、自分で会社を設立して大成功を収めている敏腕社長。多くの富を得ているが、彼女には家族らしい家族もおらず、恋愛をしても幸せになれず長続きはしない。会社の職員からも嫌われているような孤独なキャリアウーマン。

 

 

一方でジョンヒョクは北朝鮮の総政治局長の息子で、こちらも御曹司。ピアノの才能がありスイスに留学していたが兄が事故で亡くなり、家系を継ぐためにピアノを諦め軍人となった。完璧主義者で無愛想、兄を亡くした過去から立ち直れずにいる孤独なエリート将校だ。

 

 

 

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北に不時着し、ジョンヒョクの家に身を隠すセリ

 

 

このドラマにはたくさんの登場人物が登場する。孤独だった二人が出会い、恋に落ちる過程で、たくさんの壁がありたくさんの事件が起きるのだが、その中でたくさんの人物にも出会うことになる。

 

多くの登場人物の中で最も愛されたのは、やはり部隊員達だろう。放送当時この4人は韓国で“北のF4”と呼ばれ、多くのファンを獲得した。

 

 

 

劇中でジョンヒョクは第五中隊の大尉。自分の部隊の部下4人にセリを守る…監視することを命ずる。セリが韓国に戻るまでジョンヒョクの家で暮らしながらこのF4とも共に過ごし、仲良くなっていく。セリが危険な目に合った時には必死で守り、セリを想って涙する。その姿は視聴者達の目頭を熱くした。孤独だったセリに “동생” 弟達ができたのだ。

 

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セリと最後の遠足に出かける隊員たち

 

 

そしてセリは北に滞在する間、村のおばさん達とも知り合うことになる。おばさんたちは一見面倒臭そうだが、愛情を持ってセリに接する。キムチやおかずをお裾分けするのは北朝鮮も変わらないようだ。セリが韓国に帰った後もセリからの手紙を読んで涙したり、最終回ではセリの会社から発売された化粧品に自分たちが描かれていることを知り、「同じ空の下にいるのに、ありがとうとも伝えられない」といいながら涙する。(筆者はここで号泣した)

 

 

 

このドラマの出会いは全て美しい。その美しさは、“もう会えない”という悲しい事実があるからこそより一層感じられる。出会いがあれば別れもあるが、この世の別れのほとんどが「また会おう」と言える関係だ。しかしセリと北の人々の出会いはそうではない。一生会えないが、遠くでお互いが幸せであることを願いながら、その出会いに感謝するのだ。

 

 

 だからこそ、最終回の分断線シーンは視聴者の心を熱くした。 

泣きながら駆け寄るセリの 「私たち、もう会えないの?一生?会いたくなったらどうしよう」 は、民族の悲しみと二人の男女の切ない愛が最大限に感じられた場面だった。(筆者はここで嗚咽)

 

 

 

 

セリが得たものは北での出会いだけではなかった。北での暮らしを経て価値観が変わったセリは、自分の会社の職員にも優しく接するようになり彼らもまたセリ社長を慕うようになる。母親との確執や兄弟との不仲のために孤独な人生を送ってきたが、多くの事件を片付ける過程で家族関係の改善にもつながった。セリが入院中、ジョンヒョクは彼女の母親に「セリのそばにいてあげてください」と頼む。自分は南でセリの側に一生居てあげられる訳ではないから、孤独なセリにせめて家族でもと思ってのことだ。自分が居なくなった後のセリの幸せを常に考えていた。セリと母親は和解し、兄との確執、後継者争いも解決した。セリはジョンヒョクと出会ったおかげで、本当の家族を手に入れたのだ。

 

 

 

ジョンヒョクもセリに出会って多くのことが変わった。兄が死んでからは誰とも打ち解けず、笑わず、誰のことも愛さなかったジョンヒョクがセリの言動に笑い、泣き、心を取り戻した。また自分の部隊員達との仲も深まった。セリのおかげで兄の死の真相を突き止めることもできた。堅苦しく家の面目ばかり考えていたジョンヒョクの父親も子供想いの父親になった。最終回でジョンヒョクは父の計らいで除隊し、国立交響楽団にピアノ演奏者として抜擢されたことが伝えられた。ジョンヒョクはまたピアノという夢を追いかけることができたのだ。

 

 

そもそも二人は7年前のスイスで知らぬ間に出会っていた。二人はその事実を後々知ることになるが、スイスのストーリーがなんとも美しい。生きるのが嫌で早まろうとするセリを偶然にも助けるジョンヒョク。兄を追悼しながらピアノを弾くジョンヒョクと偶然にもその演奏を聴いて癒されるセリ。

そしてジョンヒョクは初めて会った7年前のスイスから既にセリに恋をしていたのだ。

そんな二人が出会ったのはまさしく、偶然ではなく運命だった。

 

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兄を追悼し、スイスで最後の演奏をするジョンヒョク

 

 

特に良かったのは、ふたりが最後まで良い距離感を保っていたこと。愛情表現が少なかったのは、わざわざ言葉に表さなくても相手の気持ち、愛を理解していたのだろう。日本語字幕では表現されなかったが、セリはジョンヒョクに最後まで敬語を使った。ジョンヒョクもまた堅い口調は崩さず、大人の関係性を貫いた。

セリは派手な恋愛遍歴を持っているが、今までの男とジョンヒョクへの愛は完全に違うものだろう。過去の男には見せなかったと思われる気遣いや落ち着きが、ジョンヒョクと居る時には感じられる。

 

二人には当然男女としての愛があるが、それ以上の何か違う次元での "愛" が存在しているように思えた。恋愛感情ではない、互いを想い合う人間同士の愛が。

 

 

 

 

 

 

では南北の38度線を超えた二人のラブストーリーはどうやって着地したのか。

 

ジョンヒョクが脱北するのか?南北統一させるのか?それとも二人でスイスに移住するのか?

放送当時、エンディングにおいては韓国内でも様々な憶測が飛び交ったが、二人が選んだ幸せは意外なものだった。

 

 

 

 

 

 

 

それは、1年に1度、2週間だけスイスで会う、というものだ。

 

 

 

 

二人とも地位も富も兼ね備えているため、二人でスイスに移住しようと思えば可能だったかもしれない。もちろんジョンヒョクは北の人間のため難しいことではあるが。

 

しかし前述したようにセリもジョンヒョクもお互いに出会ったおかげで多くの出会いや多方面での幸せを手にした。その幸せを噛み締めながら生きていくことを選んだのだ。お互いが側にいなくても、遠くにいても、悲しくないほどの幸せを手に入れたから。

 

 

 

セリにとってビジネスは人生の全てで、自分の会社は子供のような存在。絶対に手放すことなどできない存在だ。部下たちとの時間も楽しいものとなった。また、やっと手に入れた本当の家族との幸せな時間も大切だろう。それらを全て整理した上での、ジョンヒョクとの二人だけの幸せを選びはしなかった。

 

ジョンヒョクもまた、セリと暮らすために脱北したりはしなかった。ジョンヒョクにも北での生活があり、ジョンヒョクを想う家族がいて、愛する仲間がいて、何よりピアノという夢をまた追いかけることができたからだ。

 

 

 

二人はお互いを愛したままで、この選択をした。お互いのみを見つめ、あなたがいれば何もいらない!というような、二人だけのラブストーリーでは終わらなかった。

もちろん、同じ国で全ての幸せを満喫しながら二人が一緒になれるのなら、それが一番だっただろう。でも南のセリと北のジョンヒョクには不可能だった。そんな悲しい状況の中での最善の選択だった。

それぞれの世界でそれぞれの幸せを全うしながら生きていくのだ。1年に一度、最高の2週間を待ちわびながら。

 

 

 

筆者は最終話のラストシーンがたまらなく好きだ。水辺の丘の上、二人だけの世界で幸せを感じながら微笑み合うセリとジョンヒョク。

美しいスイスの情景と美しい二人。

このドラマのメインタイトルであるOST “Sigriswil”が流れ、三連符の拍子と共に、

高まる感情を一気に解放させるようなドローンの演出。完璧だった。

 

OST“Sigriswil”の歌詞、 I was there for you, you were there for me. We know. は完全にセリとジョンヒョクの運命の話。お互いのために出会った二人。

年に1度だけ愛する人と会う幸せそうな二人の姿は、視聴者に大きな余韻を残して終わった。

 

10年に1度、愛する妻と子供に会いに海から現れるパイレーツオブカリビアンのウィル・ターナーを思い出した人も少なくないはず。

 

 

 

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スイスで幸せな2週間を過ごすセリとジョンヒョク

 

 

 

最終回で、ジョンヒョクの婚約者だったソダンが 「運命とはどうなるか分からないものだけど、全てはこうなるためだったのですね」 とジョンヒョクに古いカメラを渡す。そこには7年前のスイスで偶然出会ったセリが写っていた。カメラの中のセリを指で撫でながらジョンヒョクは微笑む。

 

 

 

ソダンとク・スンジュンの結末は決してハッピーエンドでは無かったし、セリとジョンヒョクが得た幸せの中に二人が含まれなかったことだけが心残りではあるが、結婚こそが幸せだと思い込み、結婚に執着していたソダンが非婚という選択をし、母の為ではない自分の人生を歩き始めたことは後に彼女にとって大きな幸せになるだろう。現代らしい終わり方だ。

 

 

ドラマは1話80分×16話で最終話はなんと1時間50分もある。数年稀に見る超大作といったところだが、セリとジョンヒョクはその長い時間、命を狙われたり何度も危ない目に合ってしまう。視聴者からは「二人の幸せな姿がもっと見たい!」 「登場人物が多すぎてメインの二人をもっと見たい!」などとという声も上がっていたが、あの美しいエンディングを見ると全てはこの結末に着地するためだったのだなと思える。辛いことを乗り越えた後の幸せは何百倍にも感じるし、たくさんの登場人物こそが二人を幸せへと導いてくれるからだ。

 

 

 

パク・ジウン作家が描いた“不時着”という“幸運”は、視聴者が想像していた以上に美しいエンディングを迎えた。風に乗ってオズの魔法使いや多くの仲間達に出会ったドロシーのように、セリは突風に乗ってジョンヒョクと出会い、多くの仲間や幸せを手にした。こんな童話のような、ファンタジーな話が実写コンテンツで、しかも人間対人間のストーリーで表現されるとは想像もできなかった。

 

南北朝鮮という特殊な環境、歴史、素材を生かした見事な脚本であった。

 

 

 

この作品で並ならぬ相性を見せてくれたヒョンビンソン・イェジン。二人は同い年でデビュー時期も近く、「同僚として、言葉にしなくても通じるものがある」と公言するほど仲の良い二人ではあるが、二人の演技の相性はただものでは無かった。長い間トップを走り続けてきた二人。40歳を目前にした二人にとって、この作品が集大成のように思えて一ファンとして胸が熱い限り。

全てのキャラクターを愛してしまった身としては、部隊員や北のおばさんたちなど、この作品を通して脚光を浴びた新人俳優たちのこれからの活躍にも期待したい。

 

 

 

 

「愛の不時着」はネットフリックスで独占配信中だが、ネットフリックスジャパンが掲げている 

“不時着した先で、恋始めちゃいました❤️”などというダサダサスローガンなんぞ似合わない、

もっと壮大で美しい話なので是非とも勘違いしないでほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『82年生まれ、キム・ジヨン』にまつわる話

 

 

 

 

とあるおばあさんが、私に本を貸してくれた。

 

前々から読みたいと思っていた本、私の周りの人たちはもう既に読んでいたからずっと気になっていた。

 

 

 

最近の韓国ではフェミニズムの運動が盛んだ。過激に活動する人もいれば女性が少しでも生きやすい世の中になるようにと地道に活動している人もいる。

 

私に本を貸してくれたおばあさんはその後者で、女性活動家として長い間全うされてきた。 会うといつも優しく、たくさん話を聞かせてくれる。

 

 

 

最近は少しずつだが、韓国社会が変わりつつあるのを感じる。社会の構造的にはまだまだ女性差別は根付いているものの、活動家以外にも一般女性がフェミニズムについて勉強して声をあげる姿が見られるようになった。誰かの意識が変わり、誰かが行動に移したことで、また違う誰かに思いが伝染していく。そうやって韓国では少しづつ女性の人権について語られるようになった。

 

 

 

そんな女性たちを精神的に支えてきたのが、この小説。

 

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82年生まれ、キム・ジヨン



 

 

82年生まれ、キム・ジヨン

 

その名の通り、1982年に生まれたキム・ジヨンという女性の話。一生のうちでジヨンが誰かの娘となり、彼女となり、嫁となり、母となること。どこかの学校で学び、会社に入り、あるコミュニティの構成員として生きること。誰しもが経験する各過程で、今まで深く考えたこと無かったけど、実は女性差別だったこと。、女性としての“生きにくさ”を、ごくごく平凡な日常を通して指摘している。“女なんだから当たり前” ”それでこそ女”、、、今までそう思い込んできたものは全て差別だった。でももう、その差別に耐えなくていい。私にたくさんのことを気づかせてくれた小説である。

 

 

 

 

話の中に、ジヨンが働いていた会社の女子トイレに隠しカメラが設置される事件が出てくる。女は、いつどこで男性から性的対象として見られるか分からないという恐怖と戦いながら生きている。私自身、小さい時から露出の多い服を着るのが苦手で、胸元が開いている服などを来た日はそわそわして落ち着かない。

 

 

 

 

 

この小説を読んでいる当時、私には付き合っている人がいた。韓国人だ。

 

 

ふとしたタイミングで私がこの本を読んでいることを話すと、急に顔色を変えて「そんな本、読んじゃだめだよ」と言ってきた。私は一瞬、理解ができなかった。「え、なんで?読んだことあるの?」と聞き返したが、読んだことはないしどんな内容かすらまともに知らなかった。彼が一貫して言ったのは「フェミニズム信者たちが聖書みたいに扱っている本だし、僕はフェミニストが本当に嫌いだから」だった。呆れて物が言えなかった。

 

 

ネットでフェミニストを嫌う男性がたくさんいることは知っていたし、この本を読んだというだけで炎上した女性芸能人も知っている。

 

 

まさか、自分の恋人がそんな人間だとは思ってもみなかった。でも、彼だけではなくほとんどの男性がこのような認識なんだろうと思った。正直この小説は男性に向けて過激な発言をしているわけではなく、男性が嫌う要素は何も無い。この本の内容よりも存在だけが異常に拡張認識されている。

 

 

 

でも、私は少し前に感じた違和感を思い出した。

彼の所属する大学の学科内でも、女子トイレの隠しカメラ事件が発覚したことがあった。その時、彼は学科の友達から事件についてのカトクが大量にくるのを読みながら、「우와, 꿀잼...(うわ、めっちゃ面白い)」と呟いた。 

 

耳を疑った。 

 

 

最悪な事件を、彼は他人事のように“面白い”と言った。

被害にあった女性のことを一つも考えていない、最低な発言に私は「人の不幸を笑うのってどうなの?」と怒ったが、呆れてその次の言葉が出てこなかった。 カトクを送ってきた男友達もみんなこの事件を面白がっているようだった。

 

 

 

その人とは別れた。色んな理由が重なった結果ではあるが、隠しカメラ事件での態度と、キム・ジヨンを読んでいると言った時のあの反応を見てもわかる通り、彼は根本的に女性の気持ちが分からない可哀想な人なんだと思った。そう言えば「オッパ」という呼び方を強要してきたな…とか、色々思い当たる節を思い出した。でも今でも何が悪かったのか分かっていないだろうなと思う。怖いことは、彼は普段は私にとても優しく、良くしてくれていたということ。

 

 

別れたという話をおばあさんにしながら、もちろんこの話もした。おばあさんもびっくりしながら「別れて本当によかったね」と言ってくれた。本当にそう思う。 私は別れてから本当に何も悲しくなく、むしろ心が安定して幸福指数が高い。もともと私は男なしに、一人でも幸せに生きていける人間だった。

 

 

 

『82年生まれ、キム・ジヨン』が映画化され、今秋韓国で公開予定だ。小説は日本語でも翻訳されて出版された。

 

 

日本は世界でもワーストクラスの男尊女卑社会。

 

 

1番の問題は日本の女性がその事実に気づいていないこと。被害者が問題意識を持たなければ、加害者は一生気づくことなく平気で生きていく。海外に出て初めて、日本の女性は可哀想だと思うようになった。男性の好みに合わせた“モテメイク”“モテ仕草”や女性に対する価値観を押し付ける“女子力”という言葉が当たり前に使われたり、結婚しても夫婦別姓すら認めてもらえない。たくさんの呪縛に囚われている。

 

 

この小説が日本の女性にどう映るか、社会にどう影響を与えるかは分からない。でもこの本と出会うことで誰か一人でも女性が救われたらと思うし、私の人間関係に大きな役割を果たしてくれたこの本が、多くの女性の人生の指針となれば私は嬉しい。

 

 

 

 

 

 

 

幸せは分け合えば大きくなる? パルムドール賞で話題の韓国映画『寄生虫(パラサイト)』 

 

お題「最近見た映画」

 

昨年のカンヌ映画祭パルムドール賞を受賞した日本映画『万引き家族』に続き、今年は韓国映画寄生虫(パラサイト)』が同賞を受賞した。

 

監督は韓国映画界の巨匠、ポン・ジュノ監督。『殺人の追憶』『母なる証明』『グエムル』、Netflix限定作品の『オクジャ』などが代表作だ。ポン・ジュノ監督の作品といえば、実在する未解決事件や社会問題に鋭いメスを入れることでお馴染み。日本の是枝監督が静かめの雰囲気の中で家族愛や人間関係に焦点を当てた作品が多いならば、ポン・ジュノ監督はミステリーやサスペンスのジャンルに近く、独特な展開に鳥肌が立つ場面が多く見られる。衝撃のラストに圧巻され、見終わった後に一言『すごい・・・』と言わざるをえない、それがポン・ジュノ作品だ。

 

 

今回カンヌでパルムドール賞を受賞した『寄生虫』もまた、韓国の社会的な問題を扱った衝撃作。ミステリーサスペンスの要素が濃い中で、ブラックコメディーの要素も含まれている。

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寄生虫』韓国版ポスター

 

 

 

この物語での『寄生虫』とは人間が人間に寄生するという意味。

韓国・ソウルの一等地に豪邸を構えるお金持ち一家と、半地下の汚い家で細々と暮らす貧乏一家。格差社会をこれでもかと言わんばかりに象徴する対照的なこの二つの家族が物語の軸となる。一見全く接点が無いように見える二つの家族…だが、名門大学の試験に本気で4度も挑戦し、学力だけは自信のある貧乏一家の長男がお金持ち一家の長女の家庭教師を任されることから物語は始まる。 

 

 

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半地下で暮らす貧乏一家

 

金持ち一家の奥さんはもちろん家庭教師で来てくれている先生が超貧乏だなんてことは知らない。この奥さんがまた素直で単純で騙されやすい、馬鹿正直な人。そこに目をつけた貧乏一家の長男は「美術の家庭教師を紹介する」といい、自分の実の妹を超一流美大卒業生の帰国子女“ジェシカ”として奥さんに紹介する。そして“ジェシカ”は「良い運転手を知っている」と嘘をつきながら自分の父親を推薦。そして運転手となった父親は新しい家政婦として自分の妻を紹介し、貧乏一家は嘘をつきながら金持ち一家の懐にしがみつき、寄生していくのだ。

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大豪邸に住むマダム。単純さゆえに寄生虫を家に招いてしまう

 

あらすじこそ書いていないものの、ここからは映画の中の場面について細かく書いている部分があります。全くの予備知識なしで映画を鑑賞されたい方は鑑賞後に読んでいただけると幸いです

 

 

この映画にはたくさんの象徴物が登場する。大豪邸と半地下の家は見るからに貧富の差を表しているし、映画の中盤で起きる大洪水では浸水する半地下の家と金持ち一家の末っ子の遊び道具であるアメリカ産テントが一滴も雨漏りしない様子が対照的に描かれている。

 

中でも、多くの嘘をつきながら寄生している一家も匂いだけは誤魔化せないという描写が面白い。家庭教師の大学生、美術の先生ジェシカ、運転手のおじさん、家政婦のおばさんに扮装こそしているものの、金持ち一家の末っ子は彼らに「みんな同じ匂いがする」と言いのける。その父親である金持ち一家の旦那は、運転手に扮した貧乏一家の父親のことを影で「地下鉄の匂いがする」と言い放った。“地下鉄”というワードが出た瞬間、劇場の客席の空気が変わったのを感じた。劇場にいる観客の99パーセントは地下鉄を利用する庶民だろう。地下鉄に乗って映画館を訪れ、地下鉄に乗って家に帰る。庶民を大量輸送する地下鉄は富裕層からすれば“異臭がするもの”として捉えられていたのだ。そしてその匂いは庶民に染み付いて消えはしない。

“地下鉄”という庶民の象徴。とある観客は「地下鉄という単語が出た瞬間、自分がどんな視点で鑑賞するべきなのか理解した」と語った。

 

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金持ち一家の末っ子息子。意外にも物語のキーパーソン的存在。

 

是枝裕和監督の『万引き家族』が公開された際にも起こった現象だが、賞を獲ったというニュースから子供達を連れて劇場に見に行く親が多かった。今回の『寄生虫』でも全く同じ現象が起きているのだが、どちらの映画にも扇情的な性的シーンが含まれており、子供が見るに適した映画ではない。ではなぜ受賞作品にはそのようなシーンが含まれることが多いのか?『寄生虫』において、金持ち一家の旦那と奥さんの性的シーンは必要だったのか?

 

結論から述べると、必要だった。

人間の欲求には大きく2つが挙げられる。生理的欲求と社会的欲求だ。簡単にいえば生理的欲求は体に関する欲求のことで、「食べたい」「寝たい」「性行為がしたい」、社会的欲求は心、精神に関する欲求のことで、「成功したい」「富を手に入れたい」など。この映画に言い換えれば、金持ち一家はすでに膨大な富をもち社会的にも高い地位に属しており、社会的欲求が満たされている状態だ。全てを持ち合わせた富豪でも性欲、つまり生理的欲求の前には降伏する。あのシーンはつまり彼が生活の中で唯一自ら何かを欲しがり、本気になった瞬間だった。人間の本質、象徴だ。

 

 

さすがポン・ジュノだと実感したのは、物語が単純に二つの家族の比較だけでは終わらないこと。映画の中盤、貧乏一家が寄生するために追いやった元・家政婦の女が大雨のなか突然訪れ大豪邸のインターホンを鳴らすところから物語の展開は一気に加速する。彼女の突然の訪問は、貧乏一家の半地下住宅とは別の、もう一つの家族と地下室の存在を知らせることとなり、この作品の最重要ポイントとなる。

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家庭教師として寄生する長男。真ん中にはこの家に長年仕えた家政婦の姿。貧乏一家の企みによりのちに追い出される。


 

一気に加速した物語は止まることを知らない。2つの家族の対比から3つの家族の決闘へと変わり“衝撃のラスト”を迎える。こんなにも“衝撃のラスト”という言葉が似合うラストを久しぶりに見た気がした。

 

パルムドール賞を受賞しているため、日本公開はほぼ確実。

 “幸せは分け合うほどに大きくなる” というこの映画のコピー。幸せな金持ち一家に寄生した貧乏一家は果たして幸せになれたのか?

映画鑑賞後にはぜひ、ポスターをよく見て欲しい。見えなかった記号たちが続々見えてきて、今までにない映画体験をすることになるだろう。そしてあなたはまた、映画館へ足を運ぶ。

 

 

この映画はポン・ジュノというジャンルであり、全ての瞬間がポン・ジュノである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう一度だけ

お題「もう一度行きたい場所」

 

 

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私が生まれてからもう22年という月日が流れた。私はもう22歳になって、周りもみんな歳をとった。昔は小さかった私と走りながら遊んでくれたお婆ちゃんは腰が曲がって走ることなんて出来なくなった。お爺ちゃんは心臓にペースメーカーが入った。親戚中でも1番最初に生まれた子供だった私の遊び相手はいつも大人か親戚家の犬で、子犬だった頃から知っていた犬たちも2匹が年老いて死んでしまった。犬は人よりはやく年老いてしまうことを、まだまだ育つ自分の成長と彼らの死を重ね合わせて実感した。

 

 

 

保育園に通っていた頃の春の匂いが忘れられない。今の半分ほどの身長で野原を駆け回り花を摘んだ。今よりももっと地面が、花が、近かった。中学や高校に入ると、自転車で夕方の空を駆け抜けることが増えた。明日も明後日も見れるはずの夕陽にいつも見惚れていた。誰と何を喋ったのか、いつどこに行ったのか、そんなことは全く覚えていないけれど、ひとりで感じた空気の冷たさや学校終わりの眠い夕方はふとした瞬間に蘇る。どれも大切で二度と戻れない日々たち。22年という決して短くはない時間の、限られた記憶の隙間を埋めてくれた私の日常。思い出の中には会いたくても会えないあの頃の自分がいる。

 

 

 

7月17日になる度にみんなは私を祝ってくれる。1年で一番嬉しいイベント。誕生日はその本人よりも両親のための日であるということに恥ずかしながら22歳になるまで気づかなかった。両親は7月17日がくる度に私が生まれた瞬間のことを思い出し、今までの年月を振り返り思い出に浸る。私が知らない私の生まれた瞬間、物心がつくまでの出来事…両親は全ての思い出を辿る。私は祝ってくれる人々へ感謝をし、ただ歳をひとつ数える。過去を振り返るよりも新しい歳の幕開けに胸を踊らせ抱負を語ってきた。親はその横でどれほど感慨深かっただろうか、自分が産んで育てた子供がこんなに大きくなったのだから。

 

 

 

 

成長期が終わり成人を迎え、社会に出る年頃になって周りを見渡すと私の大切な人々はみんな年老いていた。彼らの姿はもう戻れない日々を思わせた。とても遠くに来てしまった気がした。過去からどんどん遠ざかっていく感覚が怖くなった。もうどの時間にも、どの自分にも戻れない。過去の自分はもしかしたらどこか違う時空で今も存在しているのではないか。今もたんぽぽの周りをお婆ちゃんと走り回ったり、夏の終わる夕方を自転車で駆け抜けているのではないか。掴もうとしても掴めないまま時が経つことが恐ろしく、もう二度と戻れない月日を想って私は泣いた。

 

 

もう一度行きたい、あの場所へ。

 

私が推したい韓国ドラマについて

お題「もう一度見たいドラマ」

 

 

韓国ドラマが好きな人は多い。

 

昔はヨン様つながりでハマったおばさま達が大多数だった韓ドラファンも、今ではケーポップの流行に乗って女子大生を中心に若者層にまで広がっている。

 

私は東方神起が好きでずっと韓国に関わってきたし、母親が韓ドラを見たりしていたが、私自身

 

実は韓国ドラマはそんなに好きじゃない。

 

韓国語に막장드라마という言葉があるが、この意味は “非現実的であまりにも無理のあるドラマ”。

 

要するに、主人公が不治の病で…や、不倫でドロドロ…や、財閥の後継者争い…などなど 韓国ドラマで本当によく見るありがちなドラマのことである。

 

 

私はそのようなドラマが  大の苦手!!!

 

そりゃあ、そのようなフォーメットのドラマが無かった頃はそれが新鮮で面白かったのだろうが今はどう考えても多すぎるし、全く面白みを感じない。

 

韓国映画「サニー」ではそのような막장드라마を風刺する場面も見られた。(劇中、病室のテレビに流れるドラマに患者たちが注目するが、ドラマの中の愛し合った男女は実は血の繋がった兄妹だった…というオチに患者たちがキレる)

 

韓国ドラマにはあまりにも막장드라마が多い気がする。

 

それに、20話以上を作るのが当たり前になっているため、意味をなさない不要なシーンが多すぎる。

 

 

そんな韓ドラに好感があまりない私だが、好きな韓ドラも存在する。元々韓国映画が好きなため、好きな俳優も多く、韓国の俳優の演技力には絶大なる信頼を寄せている。

 

韓国はケーブルテレビの加入率が高く、ケーブルテレビ局が多くの番組を作り出している。最近は地上波よりもケーブルテレビの方が人気だ。

 

tvNという韓国のケーブルテレビ局は近年製作したドラマ全てが大ヒットしている。

 

以下、私が気に入った韓ドラのリストであるが、その全てがtvN製作であることは後に知った。

 

1.応答せよシリーズ   

 

言わずと知れた応答せよシリーズ。

第一弾の1997のヒットに続き1994、1988と現在まで3つの作品が作られた。誰にでもウケるような初恋のストーリーを面白みを持って見事に書き上げた脚本と、韓国の今と昔をうまく繋ぎ、描き上げた演出。全世代が楽しめるコンテンツとして唯一無二の存在感を放っている。

 

1997はアイドルH.O.Tが大好きな釜山の高校生シウォンと幼馴染たちの話。1994は延世大のバスケ部選手の追っかけをする延世大学生ナジョンと下宿生達の話。1988はソウルのひとつの通りで暮らしてきたご近所家族の話。

 

韓国の80年代、90年代を描いた作品を見ていると、国民全員が共有する思い出の歌や出来事が多く存在しているのがとても面白い。

 

それに至っては現代の韓国でも感じる部分は多い。ファッションや音楽などのトレンドもそうだし、社会的なイシューへの関心度が非常に高いため 国民がひとつの同じ集団として多くの物事を共有する。そのような  思い出の共有をしてくれるドラマこそ、応答せよシリーズなのである。

 

また、このシリーズが面白いのが新人俳優の発掘がとても上手いこと。このドラマの主要キャストは殆どが新人や無名俳優。 オーディションを開催し、ひとりひとりじっくり相性を見ながらキャスティングする。

地方出身の登場人物が多いため、実際にネイティブ方言が使えるかなども選考基準になる。

このシリーズが生み出したスターはひとりやふたりではない。歌手のAPINK ウンジ、GIRLS DAY ヘリ、ソ・イングクを始め 映画俳優ジョンウ、ユ・ヨンソク、ソン・ホジュンに続き、今をときめくパク・ボゴム、リュ・ジュンヨルなど…みな応答せよシリーズが生み出したスター達だ。いつしかこの応答せよシリーズは 若手俳優の登竜門 としての地位を獲得した。

 

このドラマのプロデューサー、シン・ウォンホPDは元々バラエティ番組を担当していたプロデューサーということもありコメディ要素も多く取り込まれている。毎話毎話に名場面が生まれることも、ドラマの成功の秘訣なのかもしれない。

 

f:id:nekonyao17:20180430232027j:image*応答せよ1994韓国版ポスター

 

 

 

 

 

 2. 未生(ミセン)

 

アイドル出身のイム・シワン主演。このドラマはなんと韓国ドラマにしては異例の“恋愛要素ゼロ” 。 学歴は高卒認定、コネで大手企業に入社することになったグレの成長物語といってしまえば簡単だが、多くの人の人生を考えさせられる素晴らしい内容であった。

 

韓国は日本よりも学歴社会で、就職難。高校生は必死で良い大学に入ろうと努力し、大学生たちもまた大企業に就職するために必死でスペックを積む。

 

良い大学に入るか、アイドルになって売れるかしか道がないという言葉まであるほど、韓国社会は厳しい。

 

ということは、大企業に入る新入社員がいかに凄いか。

そんな社会の中で

最終学歴は高卒認定、特に何もできない…囲碁しかできない奴がコネで入ってきた。必死で入ってきた同期たちの気持ちは言うまでもない。

 

ミセンが幅広い層から支持されたのは、さまざまな事情を持つ登場人物を通して視聴者が共感できる部分が多かったからだ。これから社会を経験するであろう若者、今現在社会人として働く者、仕事と家庭を両立する者…。まさに現実を映し出すストーリーに誰もが釘付けになった。

 

男尊女卑の考え方から差別やセクハラを受ける女性社員。産休や育休を取ると「これだから女は…」と言われる。そんな社会で女性はどう生き抜くべきなのか、ミセンは提起する。

 

中でもわたしがすごい!と思ったのは、伏線である。

サスペンスやミステリーでもないこの手のドラマで、これほど伏線を張らせるとは、想像もしていなかった。

このドラマはイム・シワン演じるチャン・グレがアラブ系の国で走り回っているシーンから始まる。アクション映画の幕開けかと思わせる、ミセンのイメージとはあまりにも似合わないシーンであったため最初は戸惑ったが、後々わたしは大きく感嘆することになる。

さあ、このシーンがどのような意味を持っているのか?

 

 

f:id:nekonyao17:20180520185017j:image    ※ミセン 韓国版ポスター

 

 

 

3. シグナル

 

 

今期日本でリメイクされることとなった韓国ドラマ「シグナル」。 過去に生きる刑事と現在に生きる刑事がひとつの無線で繋がり、未解決事件を解決させるという設定。

 

主演は演技派俳優、イ・ジェフン。個人的に好きな俳優でもあるし、サスペンスは大好物なので期待大で見始めたこの作品。 大当たり。めちゃくちゃ面白い。

 

まず、このドラマに出てくる未解決事件は、韓国で実際にあった未解決事件 を基に再構成されたもの。

 

実在する全く別の事件どうしを上手く連結させ、また過去と現在の刑事を繋ぎ合わせながら物語は進んで行く。全く不自然な部分の無い、完璧なシナリオが見事だった。

 

中でも特に有名な「京畿南部連続殺人事件」(華城連続女性殺人事件)。  この事件は映画「殺人の追憶」などでも取り扱われている未解決事件。とある田舎町で10人近くの女性が残虐な方法で殺されたが、雑な現場管理、警察のずさんな捜査など…多くの原因により有力な犯人すらろくに見つけられぬまま未解決事件として残ってしまった。

 

イ・ジェフン演じる現在の刑事パク・へヨンと

チョ・ジヌン演じる過去の刑事イ・ジェハン

 

2人にとって過去を変えるということは難しいことではなかった。彼らは無線を通じて協力しながら、事件を事前に防いだり犯人逮捕に力を注ぐ。それこそが2人の役目であり、正義であった。

 

だが、正義のために過去を変えるということは、良いことばかりではなかった。事件ひとつ防いだために死ぬはずではなかった人が死んでしまったり、過去がどんどんこじれていく。そのような現実にもがき苦しみながら2人はお互いが誰かも知らないまま、正義だけを信じて突き進んでいく。

 

このドラマを見ていると欧米のCISシリーズやコールドケースなどのサスペンスドラマを思い出す。

展開の重さに比べ、クールでスタイリッシュな演出。

登場人物の持つキャラクターのバランスも良い。

 

火曜サスペンス劇場、相棒、踊る大捜査線など、日本ではサスペンスドラマのシリーズ化が定着しているが、韓国はそうではない。

恋愛ものがヒットしやすい韓国ドラマ界で、サスペンス系としては異例の大ヒットとなった今作。

“サスペンス不毛地帯”とまで呼ばれた韓国ドラマ界に大きな変化をもたらした。

 

2018年下半期の放送を目標にシーズン2が製作中である。このドラマがのちに韓国のサスペンス界において唯一無二の存在になることは間違いないだろう。

 

f:id:nekonyao17:20180522014037j:image  ※シグナル 韓国版ポスター

 

 

 

 

以上、私が推したい韓国ドラマについてでした。

これからもtvNドラマから目が離せない!