私のアイドル — 東方神起
今週のお題「私のアイドル」
小学生のときに初めて好きになった芸能人が東方神起だった。日本デビューして間もなかった彼らは韓国ではトップアイドルでも日本ではまだまだ無名だった。当時の日本は韓流ブームもまだ来ていない、「なぜ韓国の歌手?」誰もがそう聞いて来た。携帯の予測変換にも彼らの名前は出てこなかった。
2018年1月21日、彼らはツアーの千秋楽として京セラドームの舞台に立っていた。背が高くて顔が小さくて、かっこいい。久しぶりに見た彼らはひと回りもふた回りも大きくなって、更に洗練された姿だった。
2015年に兵役という国務に就くため活動休止。約2年ぶりのファンとの再会となったビギアゲツアー。「日本語が劣って悔しい」と流暢に伝える彼らは、2年のブランクを埋める為にこの日までに相当な努力をしたはずだ。
正直、私は未だ東方神起を見るたびに「2人だな〜…」と思ってしまう側の人間だ。
5人での最後の本国カムバックとなった「呪文」。8年近く経った今でも色あせず、かっこいい。アルバム収録曲すべて評価が高く、まさしく名盤。洗練されたサウンドに重なる5人の歌声、ハーモニー。あの時の彼らは間違いなく誰にも越えられない、絶対的存在だった。映像を見るたび、音源を聴くたびにあの時の興奮が蘇る。
小学生の頃に大好きだった5人のお兄ちゃん達が永遠の「私のアイドル」だということは、今後何があってもどうしても変えられない。それくらい大切な人たちだ。
それでも私は再結成を望んだり、あの時分裂してなければ…なんて思わない。むしろ2人になって良かったのでは?とも思える。
今の2人の東方神起がものすごくかっこいいと思うからだ。
人気絶頂での活動休止。分裂騒動があった後、2人となった東方神起がWhy?でカムバックした時、彼らの努力が目に見えた。チャンミンはダンスを特訓したのが一目で分かったし、ユノはボーカルに力を入れて練習したことがすぐに伝わった。スタイルの良い2人が並んでパフォーマンスする姿は、すごく、すごくかっこよかった。
東方神起と出会っていない人生など、私の人生では無いと思う。
東方神起という名前を残してくれてありがとう。あなたたちは紛れもなく伝説であり、永遠に私のアイドルです。
文章を書くということ。— 小説「コンビニ人間」から
私は文章を書くことが好きだど常々感じる。有難い事に、記事やコメントを書く機会をたくさん頂き、それをこなしながら思えた感情だ。自分の想いを具現化することが単純に楽しい。
自分の想いを文字に起こすには、当然それ相当の語彙力が必要なわけで、その為にはたくさんの書籍を読むことが大事である。
1年前になるが、私が「コンビニ人間」という小説を読んだ際に思ったことを書こうと思う。
この小説の主人公はコンビニで働く女性。いわゆる “普通”と呼ばれる女性とはほど遠い。みんなからは変わった人と思われているが、彼女にとっては人々の “普通”が分からない。本人は常に世の中や人間に多くの疑問を持ちながら生活している。
この小説の中では、そんな彼女の行動は周りからは ‘おかしい’とされているが、彼女の考えや抱く疑問に共感できた人は多いのではないだろうか。
もちろん読者は彼女よりもっと普通だ。心から笑ったり泣いたり、なんやかんやで上手く社会に適応している人がほとんどだろう。そんな変わった主人公の話を読者の心にスルッと入るように書ける作家は凄いのだと思った。
彼女の数ある疑問の中で、私は 自分自身が何で作られているのか という疑問が1番気になった。
彼女は何年も同じコンビニで働き続けているが、もちろん周りのバイトの人間ははどんどん変わっていく。新しい人が入り、話す人が変わるにつれて、彼女は自分の口癖や口調が変わっていくことに気がつく。
つまり、自分=周りの人間によって構築されているのだ。誰かの癖が移り、それが自分のものとなっていく。その繰り返しで自分が出来ていく。
果たしてそれは “自分” なのか?
私も文章を書く時に思うのだ。自分の想いを自分の言葉で書きたい。だがしかし、先述した通り文章を書く為にはたくさんの良い文章を読まなければならない。そこから人は語彙力を高め、表現力を学び、実践する。
ではそこで得た言葉は、自分のモノにできるのか?
1から自分で書いた文章だとしても、きっとどこかは誰かの表現だったり誰かの言葉に影響された部分があるだろう。それを考えると、自分の言葉なんて生まれやしないのではないかと思ってしまう。
ここで間違えてはいけないのは、仮にその言葉が他人から得たモノだとしても、その中にある想いだけは自分のモノでなければならないということ。
文章を書くということはものすごく難しい。だがやはり自分の想いを文字に表したいと思うのだ。伝えたいと思う。
人間は周りの環境に大きく影響されながら生きている。もしかすると自分は自分ではないかもしれない。それでも人間は自分の想いを持っている。いつか自分の言葉で話せるように、書けるように。今日も私は頭を捻らせる。